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フランダースの犬の中に絵を描くヒントを模索中。
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昔から多く物議を醸す昇天シーンについてです。
フランダースの犬の最終回には「死を持つ意味が別れではなくひとつの救い」だとするカルピスの元社長土倉冨士雄氏の考えによる構成があります。
最後のナレーションの言葉は、土倉氏の案のようです。
ひとつの救いで、最初からひとつのまっすぐな道です。

当時のアメリカ版映画のハッピーエンドバージョンを望む国と望まない国についての言及で、日本でデータベースサイトを作成されていた方の記事に
「何故死ななくてはならないのか」が書かれていました。
これは少し違う視点でアロアや、ネロを応援する人たち、ひとえに視聴者サイドからのものでした。

愛する人や家族が災害や事故で亡くなることだってままあるのが現実だからです。
視聴者と同じ世界で生きているような、現実と同じ側にある嬉しさや愛しさや別れや悲しみ。
永遠の別れは、世の中がどんなに進化しても絶対に無くならない、誰にでも必ずやってくる経験です。
それを思い知らせるかのようにひしひしと語りかける作品なのがフランダースの犬です。

この衝撃のラスト演出は、生前のネロの胸打つ数々の素晴らしい印象を打ち消し、
史実上「フランダースの犬は最後が全て」と多くの人の記憶に刻まれているのもまた事実ですが、舞い降りてくる天使は、ネロの描いた最後の絵です。
コンクールの発表の数日前に木こりのミッシェルさんに貰った食費を使ってまで観たかったルーベンス展の絵に出てくる天使。

フランダースの犬情報センターのHPにもありますが、「本当の貧しさについて考える」ことも作品テーマとなっています。
この物語で、だれが一番貧しいか。最後まで絵を描きたいと願うネロは、ずっと一番豊かなものを胸に抱いてまっすぐに生きていたのです。
いつまでも絵を描くために、天国でおじいさんとお母さんと絵を描く選択を無意識に選択したのでしょう。
天使に持ち上げられて最後に笑顔のネロはパトラッシュも一緒に行けるんだという、むしろ希望にみちているのだそうです。
ルーベンスに感化されて描いた天使の絵が導く先は、叶えられなかった願いが揃って叶う世界のはずです。

1つはネロとパトラッシュ視点、1つはアロアや視聴者視点から書いてみました。


参考元様リンク
http://www.patrasche.net/nello/human/09.html
http://www.a-dog-of-flanders.org/14-2.html
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木こりで森に住むミッシェルおじさんは、本放送のレギュラーキャラクターであり、
ネロの成長が描かれる過程で支えてくれるもう1人の親のような人物で、おじいさんを亡くしたネロを引き取るために動いています。
そしてその存在は、何故最後ネロが頼らなかったのかという視聴者の疑問に結びつく大きなポイントになります。

ミッシェルさんのキャラクターの重要さは2点あります。
1点は原作でコンクール出展用にネロが描いた絵のモデルがおじいさんではなく木こりだったことにより浮き出てきた登場人物。(原作の要素を取り入れている)
2点目はネロが生きる道のトリガーとなっている点です。
当時アニメであのエンディングを知る前の視聴者たちが原作は知っているけど、アニメ版はどうなるの?!と惹き付けるための人物と思います。(本放送時、たくさんの生存嘆願書が届いたそうです。)

しかし、原作通りの結末を迎えたあとに2点目を見直すと、あれ?となってしまうかもしれません。

中盤でネロは怪我をしたミッシェルおじさんの代わりに1人で樫の木を切り倒し、自分の実力試しをしています。
このあたりのネロは、まだ木こりになる将来も、風車職人になる将来も漠然とした中で考えています。でも、もう終盤は絵描きになりたい未来しか見えていないのです。
コンクールに落ちたときに何もかも忘れて、コゼツ旦那の財布を偶然拾い機械的に届けて、アロアにパトラッシュを託すのです。
また、ネロは早く木こりの小屋へ引っ越してこいというミッシェルさんの打診を「ここにいないと絵がうまく描けない」「コンクール発表の日までまってほしい」と2回断っています。
ミッシェルさんが存在したからこそ、それほどまでに絵が描きたいというネロの強い気持ちが拍車をかけて伝わってくる構成に思います。

入手出来る範囲で、フランダースの犬の世界名作劇場の
挿絵を起用され、アニメ脚本を取り入れた本を集めて比較すると
エンドまでに起こるストーリーイベントの違いが明確になりました。
(対象書籍は多少のはずれ値、抜け込み)
   

※クリックで拡大

絵本として編集した短い構成のほか、小説版でも
アニメで登場した多くの人物が未登場となっているのは、
ストーリー上登場させないでも進んでいくように出来ていることを感じさせます。
黒田監督が宝島社のムック本(2003)で言及している、最初はネロの見方となる登場人物を多く置いておき徐々に減らす手法をとっていたことが分ります。

また、ぶんけい社(2004)の現日本アニメーション公式で購入できる小説は特に大きな構成の組み替えとなっています。
エンドに繋げるため、より分りやすい構成を取って大幅に改変されています。
この本では序盤、ポリアンナと同じような構成で、10歳の時におじいさんの元へやってきます。
全く登場しなかった父親が絵描きという言及があり、読者にとってネロの絵の才能への気付きが明確なことが感じ取れます。
現代の読み手の印象に合わせるためでしょうか。
昔アニメを観ていた方がこの本を手にしたときに、違うと感じるかどうか気になります。
また、抜かされがちなアロアのイギリス留学→ホームシック帰還が描かれており、
さらにはアニメと違ってコンクール提出前の絵を見ることが出来ています。
この違いはアニメ版よりアロアの気持ちの救うことになり得るかもしれません。

また、徳間アニメ絵本(2015)は1975年の本放送とほぼ一緒で総集編のようになっていますが、
大きな違いとして木こりのミッシェルおじさんが存在しない事が上げられます。

長くなるので次の記事にします。

原作やアニメ本放送(1975)前までに見られるフランダースの犬の一般的な児童文学や派生作品の構成は、金物屋に捨てられたパトラッシュはジェハンおじいさんの行動によって助かり、ネロが小さい頃から家族の一員という関係です。
しかし、名作劇場のアニメ本編はまだパトラッシュが家族になる前から始まります。

初盤のネロはおじいさんの仕事をついて行きながらも
どこかはつらつとした子どもらしい振る舞いが多く、
将来を考えて悩むことを知らないあどけない印象がみられます。

そんな中アントワープの町中で突然、金物屋の主人に鞭で打たれながら疲弊している
パトラッシュに出会います。
ここでなんとかしてこの犬を助けなきゃならない、という強い意志から、ネロの最初の成長物語が始まります。

金物屋はパトラッシュの後にも犬を酷使して連れていますがそれは無関係のことです。
ネロの行動は、パトラッシュが運命の相手と感覚で分かり片思いをしたからなのだそうです。(フランダースの犬を愛する会(2004)による解説)
原作者のウィーダ氏は、ベルギーの労働犬をみて少なからず動物愛護の観点から描写していますが、フランダースの犬はかわいそうな動物を助けていくことだけがテーマの物語ではないです。
表面に見える「可哀想」ではなく「運命の相手」をみつけたからこその行動です。
人生の中で、ある日何かが偶然目の前に現れたとき、これだ!と五感が働くことがある。その感覚でネロはパトラッシュを助け出したのです。

命を救われ、家族となったパトラッシュは、その後全体を通してネロを助けています。
牛乳運びでは荷車を率先して引き、理解ない大人からの暴力からネロを庇い、おじいさんが倒れてからもネロの生活、命を繋ぎました。
パトラッシュが居なかったらもっと先に一家総倒れになっているところかもしれません。

コラムニストの山田五郎先生がルーベンスとフランダースの犬を語った動画では
タイトルが「フランダースの犬」なので「犬」目線で考える。
パトラッシュからしたら、ハッピーエンドだと言われています。
教会に入れない犬が、望みの絵を見て目を輝かせている大好きな自分の主人と抱き合いながら永遠に眠れるなんて、最高の幸せかもしれない。

ネロに出会わなければ幸せになれなかったパトラッシュに目を向けると
この1人と1匹の巡り合わせがお互いを多く救っていることが感じられ、
死を考えることよりも前に、愛としてのメッセージを多く持つ物語性がわかります。

1975年、日本中の大半の人々は毎週1話ずつ生活とともに世界名作劇場「フランダースの犬」の世界を見守り続けていました。

2022年、Googleアラートに載る記事では、この作品を罵る文面をしばし見ます。
「誰かの慈悲を待ってでもいるかのような、行動を起こせない姿勢」

全体を視聴すれば、ネロがいかに表現者の持つ特有の繊細で、頭より先に心で行動できる力を持っている子どもであるかがわかるはずです。
弱い?ギャングになってでも生きろ?そんなの通用しない一貫した強さがあるのです。
パトラッシュを助けたことも、最後まで思い出の家に住みたかったことも。
端から見れば無謀と言われたらそれまでかもしれませんが、あのストーリー構成になっているからこそネロ自身の持つやさしさと絵描きとしての意志を貫く強い強い人物像が輝いて見えます。

その魅力は、娯楽が多種多様にわたって選べる時代にも通用するものだと感じます。
豊かな時代になっても表面上見えないものたりなさを感じる日々の中で、
やっと見つけました。

昨今の手に届かないステージ上の推しを想って楽しさや寂しさを感じるのも一興かもしれませんが、
自分の日々の暮らしの中で寄添うような作品を楽しみ、気持ちを発信するのも1つの形ではないかと。

2022年にこのブログを見つけた方に
世界名作劇場「フランダースの犬」(1975)のストーリーを読み解いてまとめていくことで、
年末の感動アニメランキングで根付いてしまった「死ネタ、天使ネタ等」負の印象が少しでも変ればと思います。

更新不定期、思いついた順にどこまでも。

ちなみに今年は原作誕生150周年だそうです。


尚、壮大なネタバレを含むため
現在放送中のTOKYOMX版を楽しみたい方は非推奨です。
よろしくお願いいたします。

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プロフィール
HN:
ぽこ
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非公開
自己紹介:
絵を描くことが大好き。
去年フランダースの犬(1975)を視聴したことで主人公ネロの生まれながらの絵描き魂と作品のもつメッセージに魅了される。
Twitterでは伝えきれない部分を書いていきます。
他の世界名作劇場ではペリーヌ物語が好き。
P R
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