しかし、名作劇場のアニメ本編はまだパトラッシュが家族になる前から始まります。
初盤のネロはおじいさんの仕事をついて行きながらも
どこかはつらつとした子どもらしい振る舞いが多く、
将来を考えて悩むことを知らないあどけない印象がみられます。
そんな中アントワープの町中で突然、金物屋の主人に鞭で打たれながら疲弊している
パトラッシュに出会います。
ここでなんとかしてこの犬を助けなきゃならない、という強い意志から、ネロの最初の成長物語が始まります。
金物屋はパトラッシュの後にも犬を酷使して連れていますがそれは無関係のことです。
ネロの行動は、パトラッシュが運命の相手と感覚で分かり片思いをしたからなのだそうです。(フランダースの犬を愛する会(2004)による解説)
原作者のウィーダ氏は、ベルギーの労働犬をみて少なからず動物愛護の観点から描写していますが、フランダースの犬はかわいそうな動物を助けていくことだけがテーマの物語ではないです。
表面に見える「可哀想」ではなく「運命の相手」をみつけたからこその行動です。
人生の中で、ある日何かが偶然目の前に現れたとき、これだ!と五感が働くことがある。その感覚でネロはパトラッシュを助け出したのです。
命を救われ、家族となったパトラッシュは、その後全体を通してネロを助けています。
牛乳運びでは荷車を率先して引き、理解ない大人からの暴力からネロを庇い、おじいさんが倒れてからもネロの生活、命を繋ぎました。
パトラッシュが居なかったらもっと先に一家総倒れになっているところかもしれません。
コラムニストの山田五郎先生がルーベンスとフランダースの犬を語った動画では
タイトルが「フランダースの犬」なので「犬」目線で考える。
パトラッシュからしたら、ハッピーエンドだと言われています。
教会に入れない犬が、望みの絵を見て目を輝かせている大好きな自分の主人と抱き合いながら永遠に眠れるなんて、最高の幸せかもしれない。
ネロに出会わなければ幸せになれなかったパトラッシュに目を向けると
この1人と1匹の巡り合わせがお互いを多く救っていることが感じられ、
死を考えることよりも前に、愛としてのメッセージを多く持つ物語性がわかります。
1975年、日本中の大半の人々は毎週1話ずつ生活とともに世界名作劇場「フランダースの犬」の世界を見守り続けていました。
2022年、Googleアラートに載る記事では、この作品を罵る文面をしばし見ます。
「誰かの慈悲を待ってでもいるかのような、行動を起こせない姿勢」
全体を視聴すれば、ネロがいかに表現者の持つ特有の繊細で、頭より先に心で行動できる力を持っている子どもであるかがわかるはずです。
弱い?ギャングになってでも生きろ?そんなの通用しない一貫した強さがあるのです。
パトラッシュを助けたことも、最後まで思い出の家に住みたかったことも。
端から見れば無謀と言われたらそれまでかもしれませんが、あのストーリー構成になっているからこそネロ自身の持つやさしさと絵描きとしての意志を貫く強い強い人物像が輝いて見えます。
その魅力は、娯楽が多種多様にわたって選べる時代にも通用するものだと感じます。
豊かな時代になっても表面上見えないものたりなさを感じる日々の中で、
やっと見つけました。
昨今の手に届かないステージ上の推しを想って楽しさや寂しさを感じるのも一興かもしれませんが、
自分の日々の暮らしの中で寄添うような作品を楽しみ、気持ちを発信するのも1つの形ではないかと。
2022年にこのブログを見つけた方に
世界名作劇場「フランダースの犬」(1975)のストーリーを読み解いてまとめていくことで、
年末の感動アニメランキングで根付いてしまった「死ネタ、天使ネタ等」負の印象が少しでも変ればと思います。
更新不定期、思いついた順にどこまでも。
ちなみに今年は原作誕生150周年だそうです。
尚、壮大なネタバレを含むため
現在放送中のTOKYOMX版を楽しみたい方は非推奨です。
よろしくお願いいたします。
去年フランダースの犬(1975)を視聴したことで主人公ネロの生まれながらの絵描き魂と作品のもつメッセージに魅了される。
Twitterでは伝えきれない部分を書いていきます。
他の世界名作劇場ではペリーヌ物語が好き。