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青空文庫翻訳版のフランダースの犬を電子書籍化とAmazonペ
原作小説の挿絵なので、結構辛いシーンも多いかと思います。
良い機会と巡り遭い、
自分の場合はどうしてもアニメ版と比較してしまうので、
※荒木さんのあとがきには、
(よくよく調べると、「ぼくのパトラッシュ」
絵を描く過程で気が付いたのは
︎
⇨
はたまた、当時の巨匠たちが、
自分にそこまで調べて辿り着く事ができず、
︎本来の家は葡萄のの木の蔓に追われた砂壁でできていた
⇨これはアニメでは家自体が蔓で覆われていません。でも、
国会図書館に会員登録しているならば、
個人的には挿絵がワンポイントで文章の真ん中に描いてあるこの本
ネロとパトラッシュのデザインの雰囲気もアニメに結構似ている。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1630791
また、
ネロやアロアが、
アニメの昇天シーンだけ有名になり過ぎてしまいネタにされがちで
でも本当は絵を描く心理描写が盛りだくさんバイブルの
本当の「
今回のことでは改めてこの物語は、
小説版はパトラッシュの気持ちも言葉で描写されているのでぜひ一
そして、
絵描きの気持ちを描写する児童向け小説で有名なものは滅多に無い
絵だけでなく、
死を幸せや救いと言うべきではないけれど、
さいごに
今回の経験は、フランダースの犬という作品の1ファンとしてこの上ない光栄であることだけでなく、
出版される本の挿絵を描くのも初めてでとても勉強になりました。
いくつもの細かな魅力を新た
只今は数か月間頑張ってきて、文章にはうまく言い表せないくらい、
笑えないくらい、、実は結構頑張ってきて。
ひとつの「フランダースの犬」を描かせて頂き、形として残る機会に恵まれたこととても嬉しく思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
追加写真08/24
ネロはアニメのストーリー中、2度筆が止まります。
1度目は、自分の働いたお金で画用紙と鉛筆を購入した時に
もったいないような気になり、失敗を恐れ描くのを躊躇したためです。
何を描いたら良いか、自分の気持ちもわからなくなってしまいます。
このスランプはアロアの言葉によって解決のきっかけを掴みます。
「パトラッシュを描けば良いに決まっている(次はわたし)」
「紙に向かって悩むのではなく、いつも通りかけっこしたり遊んでいたら自然に描けるはず」
そんなアロアも、レース編み(「丘の上の木の下で」等)で、はじめて自分の手でゼロから1をつくり、物作りをする人の気持ちを考えています。
2度目のスランプはルーベンス展のコンクールの練習として絵を描いている際に、おじいさんがアントワープの街で1人で仕事(八百屋の店番)をしている事を知ったときです。
絵を描く時間をおじいさんに作ってもらっていることに気が引けて、絵を描く気になれず手伝ったり、家事に勤しみます。
その後、過労で倒れてしまったおじいさんの看病をしながら、
減った牛乳運びの仕事のことを気付かれないように、おじいさんの前では絵を描いているふりをしています。(仕事の状況は後に知られることになります)
そして、おじいさんが亡くなったときは最大のスランプです。
この状況下では誰でも絵を描く気にはなれないはずですが、
コンクールの提出期限は迫っています。
落ち込むネロにアロアは思い切って自分で描いたおじいさんの絵を見せます。
ネロの事が大好きなアロアは、彼にとって一番大切な気持ちを節々で思い出させてくれる的確なアドバイザーです。
このことがきっかけでネロは「コンクールの絵として、おじいさんを描きたい」という意思を自分の中から見出し、亡くなった悲しみでぼんやりとしか見えていなかった顔もはっきり思い出すことが出来ました。
(この心境の変化をネロは牧場の夫妻に「おじいさんが帰ってきた」と伝えています。)
絵のテーマとして、おじいさんを描くことを決めたネロですが、なかなか良い構図が思いつかず家の中で悩んでいました。
そんな時、心配してやってきたミッシェルさんに嬉しそうに駆け寄るパトラッシュの姿を目にします。
夕日に照らされたそのシルエットをおじいさんとパトラッシュの日常光景と重ね、描きたい絵の構図がひらめく瞬間が来ました。
ミッシェルさんにすがって泣くことで、死別の悲しみを乗り越えたネロは、気持ちを切り替えおじいさんに最期に買ってもらったコンクール用のパネルについに筆を下すのです。
構図(アイデア)のひらめき、それを絵に表現する気力、労力は平常心が整った状態でないとなかなか難しいものです。
そこに必ずやってくるスランプというもの。
日々生きていく中で、どうすべきか分らなくなったとき、人は結局は自ら抜け出さなきゃなりません。
しかし、解決策は自分だけで探すのではなく、人との交流の中にも大きなヒントがあるように思います。
「心の目で見ないと描けない」
「はじめから人に見せようと思って絵を描き始める人は居ない」
フランダースの犬には、絵を描くことについて色々な名言が出てきます。
AIが精密な絵を生み出せるようになった昨今、
絵を描く人、描きたいと思う心の在り方は、今後よりいっそうに考えていかなければならないのかもしれません。
早いもので、もうじきクリスマスの広告が街をにぎやかにする季節です。
アロアの誕生日は収穫祭(10月31日)の前後だということです。
アニメ上ではアロアはまだ半袖を着ているので秋頃といったざっくりした設定なのかもしれません。※調査中です。
一方、ネロの誕生日は12月24日のクリスマスイブです。
こちらは公式ガイドでも書かれています。
これはネロの本名のニコラス、サンタクロースのモデルとなった聖ニコラウスが由来のためです。
2年間を描いたアニメ上では、クリスマスは「アロアのいないクリスマス」、「2千フランの金貨」で2回登場します。
1年目の段階では誕生日の言及はありませんが、
最後にネロがアロアの家を訪ねたシーンで、クリスマスと誕生日を祝おうとアロアが呼び止めています。
名前からわかる誕生日ですが、絵のコンクールの発表、すなわち最後の日が偶然にクリスマスイブとなるのも皮肉めいています。
ただ、前回書いた記事の考え方通りで言えば、永遠に家族一緒に好きなだけ絵を描けるところに行ける日ともとれます。
このブログにたどり着かれた方々にも、
クリスマスイブを命日として考えるのではなく、生きてきたネロの誕生日として祝福して頂ければと思います。
サンタの歴史
https://yakult-lady.jp/mama-yell/6082
アロアのモデルは前年のハイジのパイロットフィルムに使われた
森やすじ先生の作成されたハイジがモデルと見て取れます。
※ユキちゃんを抱いている同じ構図があります。
なおこのオランダの民族衣装は、ベルギーでは浸透していない
ため、本国では受け入れにくい部分があったそうですが、前の記事のとおりフランダースの犬のアニメは80年代のベルギー観光を賑わした大きな動機ともなっています。
この古典的な原作を7~90年代日本で具体的なキャラクターとしての姿で描いたアニメ作品群が、ある種の本物の史実として
現代の実写映画に投影されていたりもします。
知られれば知られるほどに、ハイジやフランダースの犬、世界名作劇場は実在の人物以上に存在しているのです。
その反面、昔から多くの人に愛された作品やキャラクターがいつまでも側にいることは、当たり前の事じゃないと感じます。
ここからは少し不快に思われる方がおられるかもしれないので
クッション置いておきます。
去年フランダースの犬(1975)を視聴したことで主人公ネロの生まれながらの絵描き魂と作品のもつメッセージに魅了される。
Twitterでは伝えきれない部分を書いていきます。
他の世界名作劇場ではペリーヌ物語が好き。